脈打つ黒光りしたエンジンのはなし
学生時代いろいろあったので、実は自動車の免許を取ったのは今の環境で仕事をするようになってからだった。
最初に乗った車は父の形見のひとつのvitzであったが、川崎の路地は狭い。
1年間でピンボールのように狭い路地でぶつけまくって、アメリカ映画に出てきそうな様態であったことを覚えている。でも、その車とは東北に行ったり、大阪に行ったり、山梨に行ったり、大変密な時間を過ごしていて、思い出深い車だ。
今でも街で同じ車種の車をみる度に郷愁を覚える。
学生時代は免許を所持していなかったので、友人やサークルの車に乗せてもらう以外は基本的に電車移動だった。車に割と弱いタイプでもあった。
あまりにも酔ってしまったので勝手ながら夜の芦ヶ久保駅で車を下してもらい電車で家に帰ったこともあったような気がする。今思えば大変自分勝手である。
車がないと何かと不便である。例えば大量の荷物を運ばされて、弥次郎兵衛みたいになってたくさんの荷物を抱えさせられ電車に乗ることも当時はたくさんあった。ほかにも青春18を使ってどこかにいったとしても、田舎に行けばいくほど現地の足が捕まえられない割に、地方のJRの駅特有の街の中心から外れたところに駅があるというシチュエーションに苦汁を飲まされがちだったのを覚えている。(その反面、秘境駅めぐりがとても面白かったのだけど、その話は別に機会があれば。)
免許を取って車を運転するようになってから、この手の悲哀を味わうことはなくなったし、電車では本数が少ないところにも時間を気にせず行けるようになった。とてもうれしい。キャンプ道具をつんでキャンプにもいったぁ。
しかし、車寄せというのはあるようであまりない。
私はどちらかというと横着が服をきて歩いているような人間である。
仕事で方々回るときの効率を考えて50CCのバイクを買ってみた。
風をきる感覚がとても楽しく、とても気に入っていたが、それ相応にトラブルもあった。
都内を走っているときにインジェクションの不具合でエンジンがうんともすんともいかなくなったり、二段階右折で切符を切られたり。
一番きつかったのが、原付で聖蹟桜ヶ丘の50キロの道を走っているときに、スピード違反で捕まったことだった。ほかに車なんて一台も走っていないのに!
この時ばかりは機動隊が嫌いになったが、こんなことでいちいち違反着られてたらあほくさいので、50CCの限定解除を決意して、免許を取る。去年の11月。
免許をとったはいいけれど、バイクをどうしようか悩んでしまう。
やっぱりYAMAHAがいいのか、いや、SUZUKIもいいな。
優柔不断な私はなかなか車種を選べない。
安い買い物ではないのでなおのこと。
11月の誕生日プレゼントに結婚資金を取り崩してバイク買ってしまえ!といきがっても、やはりいろいろ考えてしまう。
考えても仕事は追ってくる。
会議に向かうべくR1を走っていたら、隣を走るYAMAHAのR25にのった所沢ナンバーのお姉さまが目に入る。
めちゃくちゃかっこいい。
一目ぼれ。パスタをすする俺。
「かっこいいなぁ」と思わず口に出してしまったところ、その声が届いてしまったのかあからさまにエンジンの音などを聞かされる。
今でもそのエンジン音とともに、お姉さまの姿は脳裏に焼き付いている。
僕のバイクは、そのお姉さまとともにある。
まぁ、その話はいいや。
バイクに乗っていて思うことが何点かあって、そのことを書こうと思って筆を執ったつもりなのだけど、前置きが大変ながくなったので、明日以降に折を見て触れようと思う。
車も車で楽しいんだけど、バイクにはバイクの楽しさと便利さと怖さと面白さといろいろあって。
風をきる爽快感、自動車の怖さだけではなく、ふとした時に道の傾斜だったり標識や路肩だったり、目線の違いだったり、公道で大切な仁義であったり。
車とは違う発見や思索をいつもしている気がする。
同時に、仁義や決まりごとに反したことをしたらリアルに命が危ないのがバイクでもある。
乗らなくても生きてはいけるけれど、免許を取って乗ってみてよかったなぁ、とは思っている。あんまりのれてないけどね。