日々雑感

ひとりごと

占い師なんて知らないし

週末あたりにブログを書こうと決めている。

所謂「週刊わたし」'である。

まずもって、令和2年7月豪雨で被災された方に心からお見舞い申し上げる。
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2006年、鉄子の旅に影響を受けて、「こんな面白い場所があるのか!」と肥薩線の真幸・矢武・大畑の3駅と嘉例川駅、また本土最南端の西大山駅、最西端のたびら平戸口駅を訪ねたことを思い出し、平時の風光明媚な川沿いの街を襲った災害に、ただただ情報にふれ呆然としている。

人吉から八代に向かうローカル線の景色が雄大で、また人吉と吉松を結ぶ列車のアテンダントさんに大変お世話になったことを思い出し、またいつか訪ねたいと思っているうちに長い年月が経ってしまった。

また、人吉は中学の体育教師の郷でもある。

皆様、無事であるのだろうか。

災害の話となるとふと1995年に阪神地方を襲った大震災を生身で経験した作家の回顧エッセイを読んだことをふと思い出す。

電気や電話が復旧し、情報の無さに怯えていたが、テレビが見えるようになりその情報に触れ、自分の街よりもっと悲惨な状況の映像を見る中で、何か映画を観ているような遠い世界の話のように見ている自分に気がついた、という内容だったと記憶している。

自分にも経験があって、2011年の東日本大震災。私が仕事し住んでいた街では夜の8時過ぎまで電気がストップしていた。

とりあえず施設の状況を確認したあと、先輩が帰宅する中ラジオをつける。普段はとてもチャラチャラしているFMラジオ局でも、この時ばかりは平常の番組は打ち切られ、暗めのクラッシック(主よ、人の望みの喜びをなど)が延々と流れ、たまに淡々とした声が被災地の津波の高さを告げる。

横浜は停電してるのだろうか。ランドマークタワーから火の海と停電の中で放送されているんじゃないか、と要らぬ不安と心配が頭を過る。

20時半頃、電気が回復し見たテレビは映画以上に映画で、最初は何が起きているのか判らず混乱した。こんなことが現実に起こり得るのだろうか。

と同時に、自分たちが生身で見てきた現実とはちがう、一歩引いた別の現実を見ているような気も同時にした。

2年後に初めて被災地に足を運び、現地の人に話を聞くまで、ただ上っ面の情報や自分が求めている映画的なストーリーばかりに目がいっていたと思う。

それは多分今も同じだ。

今回の災害についても、あの景色がー、あの場所がーと、映画的・象徴的なストーリーばかりを見ようとしている自分がいる。

(同時にひとつひとつがセンセーショナルであるのでついつい拡散してしまう。中にデマが混じっていても多分気が付かずに……。)

外野は外野であーだこーだという話をだす。

ただ表に見えている象徴的なもの以外に、深い喪失の中にある人がその中で発せざるを得ず発している言葉が絶対にある。もしくは、その言葉を代弁しようとしている人がきっといる。むしろ過去の政治的なissueよりも、そちらに注目できれば、と思うところである。

なかなか難しいのだけれど。

2006年に秘境駅矢岳駅でみた駅ノートの一節を(私が書いたのではないよ)
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今世界的に問題になっていることでもあるけれど、

社会的痛苦を代弁する人の存在が何処まで許されるか、って難しい問題なんだな、と思う。わたしなんかはあからさまなバカにする意味での揶揄じゃなければ問題ないんじゃないか、と思っていたが、そのような時代は終わったらしい。

みんな何を目指してるんだろうね。

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話は変わりますが、社会的痛苦を受けるヒトが考えや行動を縛る言葉を受けた時に「呪い」という言葉を使うのだけど、わたしは余り好きじゃないな、と思う。

まぁ確かに「呪い」といったらその通りで。拘束を受けて、またはその拘束から外れた事をしたらーーーという心理的な刷り込みの文脈で使われてるのだけど。なんか呪いのネガティヴな面ばかり強調されているようで。

呪文ってあるじゃない。言葉を分解すると呪いの文。でもそれって、ネガティヴな時だけに使う言葉なのかな?

ポジティブに使うと呪文ではなくおまじないになる?

いやいや。おまじないって漢字で書くと「お呪い」になるのよ。

「呪い」って、多分縁の受け方でポジティブな物とネガティヴなものに見方が変えられるものだと思うの。「ご縁」だってそうでしょ?「順縁」や「良縁」もあれば「逆縁」や「悪縁」もある。

大切なのは「呪い」をいかに「お呪い」にいかに変えていくかか、じゃないかな。

毒だって変われば薬になる。

逆に薬も使い方を間違えれば毒になる。

呪いだってもしかしたら呪いのお陰で助かることがあるお呪いかも知れない。

呪いじゃなくておまじないなんだから、もしかしたら効かないことあるし、内容考えておかしいと思ったらおまじないなんだと思うようにすれば良い。

だから○○という呪いの言葉を言われた、とうひとは、少し味方を変えると少し生きやすくなるんじゃないかな。

ちなみに私は

「自分が○○という事で自分を縛る」

「人の言った○○を受け止めて飲み込んで自分の血と肉にする」

「人に拘束される」

と言う言い方をするかな。

呪いと言うよりは拘束、当然反発可能なものとして。